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> 朝青龍引退
間違いなく良くも悪くも衆目を集める人材でしたが、さすがに傷害事件を起こしてしまってはなんともフォローのしようもないですね。只ひたすら、残念としか言いようがありません。
私自身は把瑠都がもう一皮剥けて横綱張ってくれることを密かに期待している口なので影響ないですが・・・。見なくなる人もいるでしょうね。ウラル=アルタイ両族が番付の東西を占める時代が早く来ないか(おい
> キリスト教の導入
ロストフやヴェロ=オーゼロでの魔術師騒動は非常に興味深いテーマですねぇ。導入と反発の間に浸透するための時間を要した、というのはなるほど、と思わせてくれます。
一方で、キリスト教もさることながらスラブ系集団の流入が11世紀のその時期に増加した、というのも背景にあるように思えます。
11世紀のあの騒動のあたりでヴェロ=オーゼロ地方はロストフ、ウラジーミル地方から大きな人口移動が起きたようで、在地のヴェシ集団はこの時期多くがスラブ化される一方で、西の丘陵地帯に移住し、後世にまで残る集団を形成したり、東の北ドヴィナ地方に移住してヴォルガブルガールとの交易を維持する集団が出たりと、ある種ディアスポラ的状況が展開されたようです(これが1本目のウラジーミル=スーズダリ公国の角、あるいは腕であり、2本目の角を後に生み出す遠因になった、というのが今のところの考えです)。
また、スーズダリ周辺の215平方キロに及ぶ考古学調査により発掘された180の中世集落を調べたところ、諸集落の面積の合計が1千年紀末に比較して12,13世紀には4倍にも膨れ上がったことが判明したとのこと。
北東ルーシの地において、11世紀後半という時期は尋常ならざる人口流入の始まった時期であり、このことが在地社会(それまで既に住んでいたスラブ系住人も含めて)を大きくゆるがせたのだろうと思う次第です。
で、ここは奥野さん初め詳しい方々にお伺いしたいのですが、この時期北東ルーシとノヴゴロド公国との関係はどのようなものだったか、何か情報はありますでしょうか。どうも11世紀12世紀あたり、北東ルーシでのそうした進出・浸透においてノヴゴロドの後押しがあったような記述があるのですが、哀しいかな具体的にそれが何なのか、文献側の情報の手持ちがないのでよくわからないのです・・・
教えて君ついでにもうひとつ。日本の中世では河川水運に関しては河関を設けて税を納めさせるようなことが多く見られたわけですが、ルーシにおいてはどうだったのでしょうか。例えばノヴゴロドとウラジーミル=スーズダリ公国は北東方面で領土が入り組んでいるわけですが(そもそも地域的な支配だったか、という疑問もありますが)、ノヴゴロドからウラジーミル=スーズダリを経由してドヴィナ地方へ商人が移動するなんて場合、それはどのようなものだったのか、とか。
そもそも経由しての商売が禁止されていたとか、お金を払えば通してくれたとか、やはり迂回しないといけなかったとか・・・
まぁなんというかわからないことばかりで、人生後半になったというのに全然理解が進まないことに時に愕然とすることがあります。まぁ、知りたいと思うネタが尽きないのは幸せなことではありますが。それにしても、ねぇ。
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