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わが子らよ、スーズダリの太陽はすでに沈んだものと知るがよい

 投稿者:奥野  投稿日:2010年 2月 9日(火)22時53分28秒
  口内炎がちっとも治らなくて辛いこと辛いこと。

今の仕事では船会社とのつき合いが多いのですが、そうした船社の1つが最近、持ち船から酒類を完全に追放するとの方策を打ち出しました。言うまでもなく、飲酒による船員のトラブルを防止することが目的なのでしょう。
で、僕が勤めている会社には船乗りのOBたち(いずれも50代後半のベテラン)がいるのですが、その方たちが思い出話をするわけです。昔だったら船内禁酒など考えられない、ウィスキーを一杯引っかけないと操船できないというキャプテンもいたし、出港の際に船長が酔いつぶれて起きてこないのでパイロットとオフィサーだけで出したこともあった、「ええ時代やった」云々と。
確かに古き良き時代ではあったのだろうし、昔の船員は今よりずっと練度が高かったことも事実のようです(これ自体は機械化が進んでいなかった時代の一般的傾向でしょう)。しかし、じゃあ飲酒が原因での事故は全く起きなかったのか?というと、そんなことはないと思う。昔だって今だって、飲酒運転が危険極まりない行為であることに変わりはない筈。ただ、当時はそれが当たり前だったから、酒酔い運転(航海?)のせいで死んだ人は「運が悪かった」で割り切ることができたし、船乗りという特殊な社会であるが故に管理の手が入りにくかった部分もあるでしょう。これを微笑ましく回想するのは当事者の自由ですが、僕はそんなものを野放しにしてほしくないと切に思います。
他方、船内では非番の者にさえ飲酒を許さない強硬策もどんなものでしょうか。これはこれで、問題の原因さえ取り除けば万事順調という、単純極まりない管理万能主義に陥っているのではないかと。実際、禁酒によって船員のストレスが余計に高まり、却って上陸時にトラブルが増えることが危惧されています。

昔は治外法権的な放任主義。今は一律切り捨ての管理主義。何というか、極端から極端にしか移れんのかなあ…と、朝青龍をめぐる一連の騒動とも考え合わせ、色々と物思ってしまいました。


話変わって、北東ルーシのことについてもう少し。

前から気になっているのが、北東ルーシにおけるスーズダリの奇妙な存在感です。この地域で歴史の古い街といったら、オレーグ賢公の時代(10世紀初頭)から年代記に現れているロストフですし、固有の公をもったのもロストフがダントツで早い。一方、12世紀後半以降はウラジーミルが急速に台頭し、大公の座する街として揺るぎない権威を確立したのはご案内の通りです。アンドレイ・ボゴリュープスキー没後の内訌でロストフとウラジーミルが争い、またフセヴォロド大巣公の長子コンスタンチンがウラジーミルから離れてロストフを本拠地としたことからも分かるように、北東ルーシの歴史を主導したのは基本的にこの2都市と言っていいかと思います。
ところが、両者の狭間にあって一見目立たないスーズダリが、北東ルーシ全体の代名詞として言及されている例が意外に多いのですね。手許に本がないので具体的な箇所は指摘できないのですが、ノヴゴロド系の年代記でも、北東ルーシ勢力がしばしば「スーズダリツィ(スーズダリの人々)」と表現されていたかと思います。またアレクサンドル・ネフスキー伝では、ネフスキー死去の報に接した府主教キリルが「スーズダリの太陽が沈んだ」と説教している場面があります。「ルーシの太陽」ではないところに同時代的なリアリティを感じますが、しかしその代わりに出てくるのが大公座所在地のウラジーミルではなく、何故かスーズダリなのですね。注目すべきは、ローマ教皇からの書簡でアレクサンドルが「スーズダリ公(Dux Susdaliensis)」と呼ばれているという事実で、対外的にもスーズダリの名は北東ルーシを象徴するものたり得たわけです。

僕はどうしてもルーシ内部の政治的なあれこれを念頭において考えがちなのですが、例えば蒸しぱんさんのようにスラヴ人の移住とフィン・ウゴル系諸族との関係などより広い視点をお持ちの方であれば、こうした問題について何かアイディアを出されるかもしれません。取り敢えず、スーズダリもつついてみたら面白いかもしれませんよってことで。
 

ノヴゴロドから見た北東ルーシ

 投稿者:奥野  投稿日:2010年 2月 8日(月)21時53分54秒
  会津若松に行ってきました。寒かった。不運にも大雪に見舞われて交通機関は軒並みダウンしてしまい、本当は猪苗代湖も見に行きたかったのですが果たせずじまいでした。
しかし、見どころが沢山あって面白いところでしたね。食べ物も美味しいし、温泉まであるしと至れり尽くせりです。今度はもっとゆっくり見学したい。

>ゴルスキー

僕の書きようが悪かったのですが、ゴルスキーもウラジーミルが最初から妥協的な宗教政策をとったと考えているわけではなく、「譲歩を余儀なくされた」というようなことを述べています。主教らの勧めで法改革に乗り出したものの、すぐに伝統的なやり方に戻してしまったとか、あの辺りですね。

>ノヴゴロドと北東ルーシ

これ時代は極めて興味深いテーマだと思うのですが、初期の北東ルーシ史に関しては概して筆記史料が乏しく、考古に頼る部分が大きいようです。この点に関しては寧ろ、蒸しぱんさんの方がお詳しいのではないかと思います。
そんなわけで、僕が書けるようなことは限られているのですが、わりと早い時期の関係史であれば、ジダノヴァ山の合戦が挙げられるかもしれません。1136年にフセヴォロド・ムスチスラヴィチ公がノヴゴロドから追放された際、ノヴゴロドの人々はその理由の1つとして「ジダノヴァ山でスーズダリの軍勢と戦った時」公が戦場から逃走したことを挙げています。北東ルーシにはすでにユーリー・ドルゴルーキーが君臨していたはずですが、何故かジダノヴァ山の戦いに関し彼の名前は出てきません。この時期のユーリーは南ルーシの重要都市ペレヤスラヴリをめぐる争いに参加しており、フセヴォロドが隙を突いてスーズダリ地方を征服するつもりになった可能性はあるでしょう。
ノヴゴロドは食糧自給率が低く、穀物の供給源である北東ルーシに対して一定の従属を余儀なくされていたとは巷間よく言われるところで、フセヴォロドも食糧問題の「最終解決」のためにスーズダリ進軍を試みたのかもしれません。結局この企ては失敗に終わり、ノヴゴロドは後々まで北東ルーシの掣肘を受け続けることになるわけですが。

1070年代の反キリスト教的な動きに関して言えば、ロストフ主教レオンチーの動向も注目してよいと思います。レオンチーはキエフのペチェルスキー修道院育ち、1050年代に主教としてロストフに派遣され、同地でキリスト教の布教活動に努めたことが知られています。彼の最期に関してはいくつかの伝承がありますが、異教徒の反乱で殺害されたというバリエーションも中に含まれています。そして没年は1077年以前と伝えられ、まさに問題となっている時期の出来事なのです。
ロストフはヤロスラフ賢公が若い頃に一時期公を務めていただけで、あとはユーリー・ドルゴルーキーの着任(11世紀末もしくは12世紀初頭)まで公を戴かない状態が続いていたので、キリスト教化をバックアップする軍事力が不足していたことも充分に考えられます。その意味でも11世紀後半の反乱事件の背景は興味深いです。

2番目のご質問ですが、正直こちらもよく分かりません。すいません。
ただ、かなり時代が下ってからの話ですが、ノヴゴロドのウシクイニキ(河川賊)は大胆にヴォルガ・カマ水系で暴れ回っています。あれが可能なのであれば、当時の河川交通はかなりの可能性を持っていたと見ることができるんじゃないかと。連水陸路さえ利用できれば、目的地までのチャンネルも多彩なものとなり、河川交通を押さえようとする側もそう簡単な話ではなかったのかもしれません。

まとまりのない文章で申し訳ないです。もうちょっと考えてみます。
 

本当は怖い北ロシアの歴史(嘘)

 投稿者:蒸しぱん  投稿日:2010年 2月 6日(土)00時52分32秒
  > 朝青龍引退
間違いなく良くも悪くも衆目を集める人材でしたが、さすがに傷害事件を起こしてしまってはなんともフォローのしようもないですね。只ひたすら、残念としか言いようがありません。
私自身は把瑠都がもう一皮剥けて横綱張ってくれることを密かに期待している口なので影響ないですが・・・。見なくなる人もいるでしょうね。ウラル=アルタイ両族が番付の東西を占める時代が早く来ないか(おい

> キリスト教の導入
ロストフやヴェロ=オーゼロでの魔術師騒動は非常に興味深いテーマですねぇ。導入と反発の間に浸透するための時間を要した、というのはなるほど、と思わせてくれます。
一方で、キリスト教もさることながらスラブ系集団の流入が11世紀のその時期に増加した、というのも背景にあるように思えます。

11世紀のあの騒動のあたりでヴェロ=オーゼロ地方はロストフ、ウラジーミル地方から大きな人口移動が起きたようで、在地のヴェシ集団はこの時期多くがスラブ化される一方で、西の丘陵地帯に移住し、後世にまで残る集団を形成したり、東の北ドヴィナ地方に移住してヴォルガブルガールとの交易を維持する集団が出たりと、ある種ディアスポラ的状況が展開されたようです(これが1本目のウラジーミル=スーズダリ公国の角、あるいは腕であり、2本目の角を後に生み出す遠因になった、というのが今のところの考えです)。

また、スーズダリ周辺の215平方キロに及ぶ考古学調査により発掘された180の中世集落を調べたところ、諸集落の面積の合計が1千年紀末に比較して12,13世紀には4倍にも膨れ上がったことが判明したとのこと。

北東ルーシの地において、11世紀後半という時期は尋常ならざる人口流入の始まった時期であり、このことが在地社会(それまで既に住んでいたスラブ系住人も含めて)を大きくゆるがせたのだろうと思う次第です。

で、ここは奥野さん初め詳しい方々にお伺いしたいのですが、この時期北東ルーシとノヴゴロド公国との関係はどのようなものだったか、何か情報はありますでしょうか。どうも11世紀12世紀あたり、北東ルーシでのそうした進出・浸透においてノヴゴロドの後押しがあったような記述があるのですが、哀しいかな具体的にそれが何なのか、文献側の情報の手持ちがないのでよくわからないのです・・・

教えて君ついでにもうひとつ。日本の中世では河川水運に関しては河関を設けて税を納めさせるようなことが多く見られたわけですが、ルーシにおいてはどうだったのでしょうか。例えばノヴゴロドとウラジーミル=スーズダリ公国は北東方面で領土が入り組んでいるわけですが(そもそも地域的な支配だったか、という疑問もありますが)、ノヴゴロドからウラジーミル=スーズダリを経由してドヴィナ地方へ商人が移動するなんて場合、それはどのようなものだったのか、とか。

そもそも経由しての商売が禁止されていたとか、お金を払えば通してくれたとか、やはり迂回しないといけなかったとか・・・

まぁなんというかわからないことばかりで、人生後半になったというのに全然理解が進まないことに時に愕然とすることがあります。まぁ、知りたいと思うネタが尽きないのは幸せなことではありますが。それにしても、ねぇ。
 

土左衛門とドラえもん

 投稿者:技術屋本店  投稿日:2010年 2月 5日(金)10時25分4秒
編集済
  小沢氏不起訴でしたねえ。それでも朝日の「政治エディター」(最近は論説委員をこんな風に呼ぶようですね)は、小沢氏が黒に近いグレーのように書いていましたが、個人的にはこれは書きすぎに思えました。少なくとも今のところは「証拠不十分」であり、エディターさんが検察も知らない事実や証拠を掴んでいるならともかく、そうでないなら、そう書くべきでしょう。

また、石川議員が、贈収賄ではなく、政治資金規正法虚偽記載で逮捕・起訴されたのも興味深いですね。起訴内容は、これまでなら在宅起訴とされていたものであり、従って、これまでの伝統に鑑みるなら、彼を逮捕するのには違和感を覚えます。ただ、時代が変わったからでしょうか。在宅起訴で済まされる問題ではなくなったようですね。全ての議員(とその秘書)は戦慄を覚えているかも知れませんね。たといミスであっても逮捕ですよ。むろん、キチンとすべき問題ではあるんですが。

>キリスト教導入

興味深い話ですね。ただ、ウラジーミルが妥協的だったという点には、やや引っかかりを覚えます。イヤ、結果としては妥協的に見えるのでしょうけれども、特にロストフ等遠方(そして後に蜂起が生じるような場所)では、手を入れなかったのではなく、手を入れることが不可能だったのではないかと思っています。ニュアンスの若干の差なのですけどね。なんというか、比較として不適切だと思いますけれど、イラクの占領地で米軍や新しいイラク政府が新統治・行政組織を創りたく、また創ろうとするが出来ない、どうにもならない。ただ決して組織の設置は諦めないというような感じでしょうか。(書いてみて、あまりゴルスキーと違わない気がしてきた...)

ただ、確かに「異教徒」の蜂起等の話が11世紀後半に言及されることは事実なので、その発生理由については、ゴルスキーの言うとおりかも知れませんね。面白いです。

>朝青龍
 僕も彼の引退は残念と感じる方の人です。むろん、もう仕方ないですが、やんちゃ横綱として、ここまでやると引退であり、そこまでは一応「大丈夫」という線を押し広げた点では、是非は別にして、重要な人物だったのかと思います。後進のやんちゃ力士にとって、目安になりますね。
 

吾妻橋にて

 投稿者:奥野  投稿日:2010年 2月 4日(木)22時07分45秒
  浅草を歩いていたところ、吾妻橋の上に何やら人がたかって川を見下ろしている様子。土左衛門でも上がったのか、と思って近寄ってみたのですが、そこでは護岸補修工事をやっているだけで特に変わった様子もありませんでした。何故あの場所が人を集めていたのか、今でも分かりません。
察するところ、最初にたまたまその場で足を止め、工事風景を眺めた人がいたんじゃないかと思います。それを見た通行者が、何だろうと思って立ち止まり、特に何もないので首をかしげる。さらにそれを見た人が…と雪だるま式に歩を止める者が増え、自然発生的に人だかりができあがったのではないかと。実際、僕の後にも立ち止まる人はいましたから。
こういう心理状態は面白いですね。面白いけど、よく考えると怖いところもあるような。人は何に動かされるのか、自分でも気づいていないケースが多いのだろうと思います。

>水平宇宙

銀河英雄伝説なんかもそうですね。大名死亡さんがご自分のサイトで指摘されていましたが、あの世界の宇宙戦艦はとにかく重力発生装置が強力で、損傷した艦内で何かの下敷きになって落命した者が少なくないとのこと。確かにそんな感じです。
あと、巨大な軍艦と多数の航空機(としか表現しようのないメカ。モビルスーツの場合もあり)という組み合わせは多くのスペースオペラで普通に現れる構図ですが、これも考えてみれば第2次大戦の海空戦に強く影響された図だと思います。

>『ルーシ スラヴ人の拡散からモスクワ帝国まで』

もう1つ、蒸しぱんさんの興味を惹くかもしれない話。

ウラジーミル・スヴャトスラヴィチによるキリスト教導入の直後、ルーシでは宗教的な対立をモチーフとする紛争、言い換えれば「異教徒の反乱」は目立っていません(少なくとも信頼できる史料では)。ところがウラジーミル公の孫の世代、11世紀の70年代頃になると、異教徒による大規模な抵抗運動が記録されるようになります。ゴルスキーによれば、ウラジーミルは極めて妥協的な宗教政策を採用しており、旧来の道徳や価値観にはほとんど手が入れられていません。しかし時代が進むにつれて状況は変わり、ルーシ出身の府主教(イラリオン)が登場するなどキリスト教が本格的に社会の中へ浸透してきたことで、却って宗教的な対立が醸成されるに至りました。それが1070年代というわけです。キリスト教の導入とこれに対する反発の間にはタイムラグがあったのです。
これ自体も非常に興味深い指摘ですが、原初年代記では1071年の項に記載されているロストフ・ベロオーゼロ地区での異教運動については、古くからフィン系民族との関わりが論じられているところです。つまり、11世紀後半に至ってキリスト教の浸透が強まった結果、植民スラヴ人と在来フィン系民族との間に緊張が高まったのかもしれません。勿論、宗教的な関係で全てを説明できるものではありませんが、1つのファクターとして無視できないことも事実だと思います。

>朝青龍

辞めちゃいましたねえ。僕としてはものすごいがっかりした結末というか、アンチクライマックスだと思っているのですが、今後の相撲人気にはどう響くんでしょうか。
 

朝青龍引退

 投稿者:カネキウス  投稿日:2010年 2月 4日(木)15時42分37秒
  横綱・朝青龍が現役引退を表明、とのこと。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100204-00000535-sanspo-spo

やくみつるが鬼の首を取ったような顔をするかと思うと、少々気がかりです。
 

宇宙の海は俺の海

 投稿者:蒸しぱん  投稿日:2010年 2月 2日(火)02時15分1秒
  宇宙に上下があったり、あまつさえ煙が立ち上りさえするのが日本の伝統なんでしょうか。
いつから?>伝統
ひょっとしたらヤマトが伝統の創始者なんですかね。

宇宙戦艦は球形こそ合理的なのではないかと、ペリーローダン(ドイツのSF)で育つと思うようにもなったりします(笑)。デススターもイゼルローン要塞もまん丸ですねぇ。美しい。

◆小沢氏
なんとなく、ジャバザ・ハット度が向上してきているイメージがあります。

◆『ルーシ スラヴ人の拡散からモスクワ帝国まで』
また面白そうな本が・・・
最近は(も)北東ロシアのスラブ化過程関係ばかりぼちぼちと見ています。
あちら方面専門の考古学者、N.A.マカロフ氏の論文がつい最近出たのをちまちまと。
以前この人の論文で、「ベロ=オーゼロにはフィン系諸族とスラブ系の集団が同時期(10C半ば以降)にやってきて、両者が混在しつつ周囲に進出していった」みたいなことを言っていたことがあって、中世日本の蝦夷地で、和人とアイヌとがやはり混住しつつ交易網を担っていたことを連想したりしました(もっとも、湖の西岸方面にはより以前からヴェシの集落があったようですが)。

ああいう、境界領域的状況があの辺りにもあったのだろうなぁと思うとますますワクワクしてきます。
 

Назад в будущее.

 投稿者:奥野  投稿日:2010年 2月 1日(月)22時03分20秒
  今年初の更新が掲示板の過去ログだった、という相も変わらぬ後ろ向きな展開。まあ、いかにも洞窟らしいっちゃあらしいですかね。ほんとはもっと色々書きたいこともあるのですが。

国後沖で日本の漁船がロシア国境警備隊のヘリに銃撃されたという話。日本とロシアのそれぞれのニュースを見ると、互いに報道内容が全く異なっています。とりわけ印象に残ったのが、(少なくとも初期段階においては)自分のところの「言い分」しか伝えてないということ。日本の報道は「ロシアに対して厳重に抗議した」と言い、ロシアのマスコミは「同様の事態が繰り返されないよう日本に申し入れた」と伝える。正解は「どちらも講義した」ということなんでしょうけれども。
漁船が実際に国境侵犯をしていたのか否か、これはすぐには結論が出ない問題かもしれません。しかし、本件に関して相手側が抗議をした/しないは簡単に分かりそうなものですが。でも、伝えないんですねえ。自分とこの政府の主張内容しか。
知っていながら故意に沈黙したのか、それとも単にそう思い込んでいただけなのか、はよく分かりません(どっちにしてもとんでもない話だとは思いますが)。ただ、個人的には後者であるような気がします。今まで遭ったマスコミの人って、自分の頭の中で「あるべき物語」を作ってしまい、それに基づいて世界を解釈しているパターンが多かったので。

>小沢さん

中曽根大勲位が第一線を退いた今、政治家の中でも妖怪的な得体の知れなさを漂わせているのは小沢さんくらいになってしまいましたかね。そういや、中曽根が小沢さんを誉めていたのをどこかで読んだような。
 

今日の小沢さん

 投稿者:  投稿日:2010年 1月29日(金)12時41分54秒
   ある友人申しました
 「小沢一郎はきっと何かよくないことをしてるんだろうけど具体的にどんな嫌疑がかかっているのかはさっぱりわかりません。岩手のネット知り合いにそう話したら『じつはわたしもです!』といわれてしまいました。
 岩手でコレなら東京在住のおれにわからないのはしかたがない」
 そ、そうなのか(笑)
 

90年代の小沢さん

 投稿者:奥野  投稿日:2010年 1月27日(水)21時09分49秒
  ホットケーキに餅を細かく切ったものを混ぜて焼いてみました。お好み焼きの餅ネタから着想を得たのですが、これが意外と美味しかった。あんこをかけて食すと尚よろし。ただし、焦げてフライパンにひっつく危険性があるので注意が必要です。

検察の話からは外れますが、小沢さんといえばかつての「ふつうの国」論が強い印象となって残っています。今から90年代の初め頃に言っていたやつ。あの頃は保守派の超大物現るといった趣でした。当時つき合いのあった左翼(中核派)の方々が妙に嬉しそうだったのも思い出深いです。遂に我々の「本当の敵」が現れた、最後の決戦はこれからだ…と、ハルマゲドンモードになって盛り上がっていたのですね。
あれから年を閲すること20年近く、小沢さんはあんな感じですが、中核派の皆さんはどんな感じになっているのやら。あの時張り切っていた彼らも、考えてみれば小沢一郎に振り回された犠牲者なのかもしれません。

>カガン

世界各国史(ウクライナ)のアレはねえ…いいですよもうどうでも。と言って済まされるようなものではないのだろうけれども。

真面目にカガンの話だけしておくと、実はキエフの聖ソフィヤの壁の落書きと、『イーゴリ軍記』にもこの称号が現れるらしい。やはりゴルスキー情報です。ちっとも知らんかった。
聖ソフィヤの落書きの「カガン」はスヴャトスラフ・ヤロスラヴィチ(賢公の息子、Cの人)を指すものと考えられており、また『イーゴリ軍記』中のそれはオレーグ・スヴャトスラヴィチ(前記スヴャトスラフの子)に対して用いられているのだそうです。ゴルスキーはこれを、スヴャトスラフ一族がトムタラカーニ(ハザールの故地)を領有していたことと関連づけて考えていますが、確かにそれはあり得るかもしれません。いずれにせよ、ルーシ諸公とカガン号の関わりも突っ込んでいくと面白いテーマだと思います(中井さんみたいに変な方向へ行かなければ)。

あと、ルーシがモンゴルに征服された際、かなり早くからバトゥ以下のハンを「ツァーリ」と呼び始めているという現象。あれも実は、一時的にではあれカガンの称号を受け入れていたことと何か関係があるかも、とちょっと思いました。裏付けは全くないんですが。
 

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